阿南高校では教員も地域について学ぶ機会として毎年行っていますが、本年度は今日(10月30日)に探究して来ました。
昨年度は売木方面と新野方面に向かいましたが、今年度は遠山方面へ足を延ばしました。
まずは阿南高校から遠山方面に向かう途中で立ち寄った平岡ダムです。
基本情報
平岡ダムは長野県の最南端に位置する水力発電用の重力式コンクリートダムで、天竜川水系のダムの中では戦前に計画・建設された中でも最大の高さ62.5メートルを誇ります。また、ダムに併設された平岡発電所は最大出力101,000キロワットで、天竜川水系における一般水力発電の中でも大規模なものです。
戦前・戦中・戦後の苦難の時代に建設
平岡ダムは1938年に建設が始まり、戦中・戦後の困難な時期を経て完成しました。戦時中には国策工事として、多数の外国人労働者が動員され、最終的に中国、朝鮮、米英などから3,000人以上が強制労働に従事しました。戦後も在日朝鮮人などが仕事を求めてダム建設に携わり、戦争と戦後復興の時代に翻弄された歴史を持つダムでもあります。この間事業者も、矢作水力(株)→日本発送電(株)→中部電力(株)と次々に変わり、戦争と戦後復興という時代の 流れに翻弄されたダム建設とも言われています。
参考文献 「日本ダム協会 HP」 http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=1001
次に訪れたのは、旧木沢小学校です。
木沢地区は中央構造線により形成された遠山谷の中心に位置し、かつては林業や宿場町として栄えていました。旧木沢小学校は1932年に建設され、1991年に閉校、2001年に廃校となりましたが、地域住民の協力により保存され、現在は資料館や地域交流の場として活用されています。木造校舎の希少性と地域の象徴としての役割が、保存される理由です。
木沢小学校は、1932 年に建設され、遠山谷の中心である木沢地区の歴史や文化を 象徴する建物です。長い歴史を持ち、地域の人々の生活や文化と深く結びついている ため、単なる学校ではなく、地域の重要な拠点としての役割を果たしてきました。
遠山森林鉄道梨元貯木場跡にも立ち寄りました。
森林鉄道の軌道は廃線後も村道として利用されてきました。現在は梨元から北又渡までの林道が寸断されているため、林道赤石線から下栗を経由する必要がありますが、北又渡から便ヶ島まではほぼ軌道に沿って村道が走っており、自動車が通行可能です。便ヶ島からさらに奥の西沢渡までは約1時間の遊歩道が整備されており、当時の軌道上を歩くことができます。
参考Webページ:https://tohyamago.com/stay_and_eat/genya/
続いて訪れたのは龍淵寺・遠山郷戸館[和田城]です。
遠山郷土館[和田城]は、南信濃村和田の街をのぞむかつての和田城跡地にあります。 戦国時代、こ の地の領主であった遠山氏の 当時の栄華を偲び、「和田城」の再現を図ったものです。
伝統芸能をマルチビジョンで紹介し、 霜月まつりに使う面の複製面を 200 点余り展示するなど、 芸 能文化の里にふさわしい施設となっています。 野外には、遠山土佐守・徳川家康対面像があります。
参考Webページ: https://tohyamago.com/view/wadajou/
館内では、霜月まつりに使う面の複製を含む200点余りの展示がされており、芸能文化の紹介にも力を入れています。
遠山郷土館では遠山の歴史を学び、多くのことを発見しました。
最後に食楽工房 元家さんで美味しい昼食をいただき、阿南高校へ戻りました。
このように、今年度も遠山方面で地域の歴史や文化に触れながら学びを深める充実した研修を行うことができました。
遠山 旧木沢小学校 龍淵寺 遠山郷戸館 和田城