阿南は本当に「稲作発祥の地」なのか?(3)
2021年8月17日 12時55分 稲作の始まりを弥生時代の土器から探ってみようと思った私は、天龍村平岡にあった「満島南遺跡」を調べようと思いました。
稲作は大陸から九州関西地方を経て全国に伝わったと考えられています。そうなると長野県に入ってきた一つのルートとして考えられるのが東海から天竜川をさかのぼっていったルートです。多くの文献でもこのルートを唱えています。
そうなると県内の天竜川沿いで最も南は天龍村です。前回お話ししたようにここも広い意味で阿南地域となります。そしてここに縄文時代から弥生時代中期にかけて栄えた集落の跡、「満島南遺跡」があることを知ったのです。文献にはこの遺跡から稲作文化の始まった弥生時代初期に特徴的な「条痕文(じょうこんもん)土器」ががたくさん出ていることが記されていました。
この遺跡はもともと遠山景政さんという方の畑から土器がたくさんの出てその存在が分かったというので、私は早速、遠山さんに連絡を取ってみることにしました。